りあんまち の日々☆もの作りの ほっとする温かさと楽しさと

50から始めたハンドメイド・お教室・ドタバタな日常や楽しみを綴ったブログ。ハンドメイドは、がま口、帽子、マクラメ等。 縫わないがま口®️を、主に横浜あざみ野で"ほっとする温かさ・楽しさ"のある お教室・作品で活動中♪

父が亡くなった。81歳8ヶ月だった。

お昼まではたくさんご飯も食べて母をのせて車を運転していたらしい。夕方から気分が悪くなり あんなによく食べる人がご飯が食べれないと言い、胃腸風邪かと思ったら急に倒れて救急車で運ばれた。

 

 

夜の11時過ぎ、弟から電話があった。

お父さんが倒れた。たぶん、長くはないと。もう、意識がないと。

 

 

丈夫で元気な人だったから、私は勝手に、短くても90歳くらい迄は いてくれるだろうと思っていた。

 

 

うちのパパさんは出張中でいなくて、息子達だけだったけど、息子も有り難いことに大きくなっている。パパさんも「子供のことはいいから、早く行った方が良い」と言ってくれた。

どうにか自分達でやってねと伝え、翌日、

「私が行くまで待っててね」と思いながら新幹線に乗った。

 

 

間に合った。とても大きくて新しい病院だった。

父はHCUにいた。もう、私の顔は見てもらえない。意識はないけど耳は聞こえてるって看護師さんに言われたから、手を握って

「お父さん、みえだよ。」と言ったら 脈拍の数値が少し上がった(と思う)。父の閉じた目から涙が出ていた。少しは私が来たこと分かってくれたかな。

 

 

母も弟も寝てないから、私がその日は付き添うことにして、15時頃に一度、二人は自宅に戻ることにした。「お父さん、明日来るからね」って母と弟が声をかけて。

ここの看護師さんはとても優しくて家族にも優しかった。

「お母さんも疲れたよね。何かあったらすぐに連絡させてもらうね」と、母に優しく声をかけてくれる。

でも、帰ろうとすると「行かないで!」と駄々をこねているかのように調子が悪くなり、そんなこんなを2回して、父は逝ってしまった。

家で倒れてから1日も経っていない。そして、この日は、母の誕生日だった。

 

「俺のことを忘れないでくれ」と母に言っているようで、かまってほしい父らしいなと思った。この日なら、母も弟も私も忘れないよね。

そんなに仲の良い夫婦では無く、夫婦喧嘩も多かったけど(私は辛かった)、父が、母のことを想っていたのは、その時々の行動で私は感じていた。

 

 

息子達と一緒に、今年の春に2年半ぶりに実家に行って良かった。成長した息子は見てもらえた。一緒に息子たちと父と写真も撮った。

 

母の誕生日のプレゼントの中に、父も喜びそうな東京のお土産を入れていた。

それは見てもらえなかった。もう少し早く送れば良かった。

母も、「絶対お父さん喜んだね」って言っていたから。

 

 

父は男兄弟ばかりだったからか、最初に女の子が生まれたのは とても嬉しかったみたいだ。

弟と歳が離れているため、子供の頃、私をどこかに連れていってくれるのは父だった。覚えているのは、潮干狩りと大阪旅行かな。

夏休みとか どこかに行かないと作文(日記)くらい書けないだろうと連れていってくれたのが、大阪だったと思う。

 

大阪は天王寺動物園に行ったのは覚えている。母が握って持たせてくれた おにぎり🍙を とても動物くさいところで食べて、におわない所で食べたいなーと思った。でも私は その頃良い子だから(自分でいうな!)何も言わずに父と食べた。

あと 大阪のどこに行ったのか覚えていない。

 

 

大阪へは初めて新幹線に乗ったと思う。

帰りの新幹線では、カップのアイスクリームを買ってくれた。カチンカチンだ。なんか嬉しかった(母だったら買ってくれなかっただろうな~)。

1人に1個、新幹線のアイスクリームって高かったから「こんなの買っていいの?食べていいの?」と思ったような気がする。私にとって とても贅沢な物。きっと父も食べたかったんだろうな。でもね、新幹線のエアコンがきいて少し寒かったから私は多分、1個食べられなかったんじゃないかな。父が私の残りを食べたのだろうか?

 

 

父は真面目に働いて、私を かわいがってくれたが、思春期少し前から今まで、父に優しく接することが出来ない冷たい娘だった。短気だし、夫婦喧嘩多いし、話し出すと長いし、トンチンカンなことをたまに言うし、声は大きいし、軽く聞き流していた。私は、良い娘ではないのだ。

 

 

父にプレゼントした私が作ったコインケースと印鑑ケース。

父のバッグから出てきた。小銭は一杯入ってて、印鑑も入れて、ちゃんと使ってくれていた。嬉しかった。

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コインケースの中のじゃばらが壊れたようで、父がボンドをべったり塗って修理していた。

そこまでして使い続けてくれて ありがとう。さすがに、これを見たら 「うっ」ときた。

 

 

病院で亡くなった時も、お葬式の時も、私は涙を流さないから、人から見たら なんて冷たい娘なんだと思われたかもしれない。

あの気の強い母も涙するし、父と たまに ぶつかっていた弟も涙して運転してて泣いて危ないし、誰か1人冷静な人がいないと、、、これからしなければならないことがメモをしないと忘れるほどあって、頼りない私でも しっかりしなくちゃと思った。

母や弟の前でも泣いていない。涙出ない。二人が なんて思っているか分からないけど。

 

 

でも、これを書きながら涙は出てくる。